弱音や鬱々とした個人的記録

ついに大学3年生です

何が言いたかったんだ、、、

 

めめめ珍しく、パソコンから、前回から時間を空けずに、書いてみるわけです。

 

思っても馬鹿だから、これは忘れたくないって思っても、そう思ったことほどすぐに忘れる。

文化祭の仮装コンテストの順位発表のこと、中一のクラス替えの間際の休み時間の寂しさ、絶対に忘れない、忘れたくない、いつか今日の日を思い出す日がくるのかなと思ったこと。それさえもどんどん詳細を忘れて、あいまいになって思い出せなくなっている。

少しでも残しておきたいなと思った。

 

基本的に他人に無関心、気になる人のことぐらいしか覚えたりしないから困ったもんです。人間関係に疎いのね、、。でも優先順位が低い他人のことに振り回されたらしんどいよ、私は器用じゃなくて、マルチタスクとか余裕でこなせない人間だもんで、、。

ママに小さいころからよく「人は人、自分は自分」と言われてきたのを過大解釈しているのか????まあこんな自分にがっかりしちゃう日もあるけど、そんな簡単に変われるわけもないから、これでいいんだって思うけどね。

 

前回の記事で、仕事で認められる話をしたのだけど、今日過労死についてのブログを見て、「仕事での代わりはたくさんいるのに、なんで自分がやらなきゃ自分しかいない自分にしかできないと思うんだろうね?」的な考えに昔触れたことを思い出した。

 

そうじゃん、、、代わりなんていっぱいいるのよ。

でもみんな認められたい。オンリーワンだと信じたいのだ。

じゃあ代わりがいないことを、オンリーワンを証明してくれるものは何か?

家族?でも家族は近代が生み出した機能にすぎないって聞いたぞ?(信じたくない

家族が愛情の集合体じゃなかったら、愛情なんぞ信じられるかってなるのは私だけか、、、

仕事において、仕事をする人間はただの能力なのか、人間が仕事をするはずなのに、仕事が人間に仕事させてる?っていう事態じゃないのかそれは。

 

アイデンティティはその人に関わる周囲の人間によって決まる。アイデンティファイされるという考えにものすごく賛成なのだけどそこに愛情がないなら、人間はただの能力。しかも地球を破壊してる。やばいね、自殺につながりかけるね(笑)

では愛情とは何なのか?

わからないことだけど、どこかで知っている気もする。でも言葉に出来なかったら、知らないことと同じ。もどかしい。

 

幸運なことに私は家族が愛情で構成されていると思っているので、あれを愛情と呼びたい。そうでなければ死にたくなってしまう。

 

だから仕事の前に私は自分が「母親」「妻」という機能持つような家族というものに属したい。愛情がすべて、愛情なくして仕事は出来ぬ。

仕事は自己実現の手段なのだろうか。そうではないと思っているが、そういう面も間違いなく持っているだろう。

仕事はお金のため、社会のためではあるけれども、その気持ちだけでやれるものじゃないと思う。いくらかの自己実現が混じっているから働ける、やる気に繋がっている人もいるのではないか。それだけでできるもんでもないとは思っているけど。それは本当に働いたときにしかわからない気もする。

でも私の場合は「家族」という愛情の集合体、よりどころがなければ生きていけないし、仕事もできないと思うのです。

 

 

つまり彼氏が欲しい(俗

 

(過去最高にくだらない気がするwwww)